支部会・クラス会報告

84会

クラス会報告

報告者:上村隆雄(13期生)
開催日:2025年5月31日(土)
場 所:名古屋東急ホテル
出席者数:43名

 令和7年5月31日(土)夕方、北は北海道~南は九州鹿児島まで、84生43人が名古屋東急ホテルに大集合しました。ここは1990年春、医師国試の宿泊地、その後の卒業謝恩会、さらに前回の2021年の第2回84会と我々84生にとって、思い入れのある聖地!?なのです。1965年生まれが大半の84生にとって、今年が還暦、さらに昭和100年と区切りのいい年ですので、盛り上がらずにはいられないステージが整いました。
 84会は卒業式の時、84・02会(1984年入学・平成2年;1990年卒業)クラス会として発足。10年ごとにクラス会を行うことを目標に掲げておりました。前回のクラス会の後に84会とシンプルに改名。本来なら2020年に予定しておりましたが、あの新型コロナの影響で、3回の延期後、結局中止。2021年、1年遅れて無観客開催の東京オリンピック2020の夏にオンライン84会(10数名参加)を行いました。そしてついにこの度、開催にたどり着きました。ようやく…あれからすでに15年です。

 久しぶり、中には30数年ぶりの再会です。受付で一見誰かわからない!? 同窓生もおり一抹の不安もありました…。この歳ですので、それぞれの医療現場ではトップの立場の大先生方です。卒業アルバムの顔写真+学籍番号をプリントした名札を個々にお渡しして、医大生時代を回顧していただいて会場入り。1984~90年の当時流行った邦楽(あえて洋楽ではなく)をBGMで流して、バブル全盛期の医大生時代の雰囲気を盛り上げました。あの医大生に変身する瞬間が会場のいたるところで見受けられました。

 まず会を始める前に、前回の第2回84会からこれまでの15年間に亡くなられた同窓生5名(+2名;卒後に物故会員)を偲び黙祷。その後、ジロウ(篠邊龍二郎先生;愛知医大睡眠科教授)が、今の愛知医大のお話⇒その後、当時から最年長のカトウさん(加藤芳幸先生;かみの内科院長)の乾杯で開宴。もうその頃にはすっかり当時の84生の空気になっておりました。盛り上がった頃合いに、事前にLINEやメールで送ってもらった医大生時代と現在のイケてる写真を前に、また提出がなされてない84生は卒業アルバムから私が熟慮の上!? セレクトした思い出の写真を前に、それぞれの自己アピールタイム。プレゼンターにはマミコとタキ(服部【旧姓;岡田】満美子先生;クリニックおかだ院長、瀧 智弘先生;ひまわりクリニック丹西院長)。そこには、当時の医大生が今の姿と重なってステージ上に舞い降りておりました。東京から終盤ギリギリに到着したタチバナ(館花明彦先生;外科医)の一本締めで1次会〆。その後ほぼ全員が2次会に徒歩移動(通常3分、酔っぱらいは15分)。日付の代わる0時過ぎまで盛り上がりました。

 次回は、年齢から考慮し?5年後の開催ができるように話が出ておりました。もちろん開催できるよう努力いたします。今回84会のグループLINEも作りました。閉会後も写真のやり取りで盛り上がっており、お互い元気・刺激をもらっております。

 ◎以下、ナカガワ(中川順一先生;中川内科院長)が閉会後の翌週月曜にグループLINEにアップした文章です。

 『84会2025からもう2日が過ぎましたが、まだ夢のあとという感じで、ぼっとしています。あの日は皆さんの顔を見ていると段々当時を思い出し、皆さん相変わらず元気でまるでタイムスリップしたようでした。何か、もっと懐かしい皆さんとお話がしたかったけれど時間は有限で、気がつくとあっという間に0時になってしまい、まるでシンデレラの心境でした。帰ってから卒アルをながめていたのですが、私の勉強会は5人のうち3人(○○、○、○○さん)が84会あの世支部へ旅立ってしまったことに改めて気づきました。でも一昨日は皆、きっとこちらにきていたことでしょう。写真は二次会会場ですが、職場の近くなので、今日、昼飯に行きがてら、思わず前を通っていましたので(皆さんの写真に外見はなかったもので)撮ってみました。じゅんいち』

 参加者全員同じ気持ちだったと思います。同じ時期、苦楽を共に過ごした仲間たち、84生最高!!
 追伸;今回の第3回84会を開催するにあたり、裏方で様々なサポートをしていただいた愛橘会スタッフのみなさまに深謝いたします。今後ともよろしくお願いいたします。

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