沿革
 分子医科学研究所は、昭和63(1988)年4月、世界に先駆けてマトリックステクノロジーの研究センターとして、大学の関係者の賛同と一企業からの多大な支援を基に設立された。
 この研究所の夢は、マトリックステクノロジーの思いきり独創的で意欲的な展開にある。それらの実践を望む世界の若手研究者の仕事場と討論の場となること、その成果を通して人類の健康と福祉に貢献することである。
1−1 設立目的
細胞外マトリックスの構成について、さらに細胞とマトリックス間で交換されているシグナルについて、分子レベルにまで掘り下げて明らかにし、その成果を医学に還元して疾病の予防、治療に応用する。マトリックスとは、生体を作り上げている組織、臓器の細胞以外の部分、つまり細胞の外側にある構造体を呼んでいる。結合組織と呼ばれる軟骨や皮膚などの組織では、この構造体の性質が組織の主要な機能となっており、これらの組織の性質や病気の理解にマトリックスの研究はたいへん重要である。また、マトリックスは、組織を取り囲み、細胞環境を提供している本体であり、様々な機能や形態を持つ細胞の秩序ある行動は、このマトリックス環境との実に絶妙なシグナルの交換で行われている。したがって、どちらかに異変がおこってもこの交換は異常となり、病気の原因となる。
 本研究所の特徴は、技術的側面から表現するならば、マトリックステクノロジー(マトリックスを人為的に操作する分子生物学的な技術)を開発し、この方法論によりマトリックスを研究する。さらにマトリックス中のプロテオグリカン分子について高度の研究実績をもち、それを生かして研究をおこなっていることである。
1−2
 昭和62年4月、専門棟(現2号館)に設立準備室が設置され、準備室長に薬理学教室の竹谷和視教授が、助教授に木全弘治が任命された。昭和63年4月に総合実験研究棟(現5号館)完成とともに、同棟の2階と3階の一部に移り、分子医科学研究所として正式に発足した。
 発足時から平成2年6月までの初代所長は、薬理学教室竹谷教授が兼務した。同年7月から平成3年3月までの第2代所長は、平成2年に名古屋大学理学部化学科生物化学研究室の鈴木旺が努めた。同年4月からは木全弘治教授が努めた。木全所長は16年間所長を務めたが、その間の人事の大きな異動としては、助手、講師を経て平成10年4月から助教授を務めた篠村多摩之が平成12年4月に東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科の助教授に転出し、代わって同年4月から米国国立健康研究所歯学研究所から渡辺秀人が助教授に就任した。また、開設当初から研究所の確立に努力した講師の米田雅彦が平成12年4月に愛知県立看護大学の助教授に転出した。
 平成9年度の文部省私立大学ハイテク・リサーチセンター整備事業に応募し、最先端技術開発プロジェクトの一翼を担う研究所として認可された。「難治感染症研究治療センター、マトリックス複合多糖部門」として平成9年11月から実働し始め、平成10年には上記部門の研究施設としての整備も完了し、平成14年には成功裏に事業を終了した。
 平成12年11月分子医科学研究所とは共通の目的をもち、相互に切磋琢磨する機会として誘致に努力した科学技術振興事業団関口細胞外環境プロジェクトが本学1号館7階を使用して事業を開始した。
 平成8年の改革により大きく発展し、部門数を充実させた加齢医科学研究所の代謝動態部門の部門長を、木全教授は平成8年以来兼任した。(以上、愛知医科大学三十年誌より)

 平成19年3月に木全教授は定年退任し、その後任として同年4月より渡辺秀人が教授ならびに第4代所長を務めている。
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